NYCのゲイカルチャーの中で生まれたDANCEである「VOGUE」。アメリカのスーパースター「マドンナ」の歌で世界的に有名になった事でしられている。そのシーンの中で生まれた「HOUSE」(チームや家族を指す)の中でもカリスマ的な位置にあるのが「HOUSE OF NINJA」である。1983〜84年の時期に当時から「VOGUE」シーンにおいてカリスマ的存在だった「WIILI NINJA」を中心に「HOUSE OF NINJA」を結成。マドンナ「VOGUE」や映画「PARIS IS BURNING」などで主演やバックダンサー、そして「ジャンポール.ゴルチェ」のモデルなどでカリスマ的地位を不動のものとした。2006年に残念ながら「WILLI NINJA」は亡くなったが、その後もアメリカ国内を中心に世界中のメディアやコンテストなどでのメンバーの活躍は凄まじく、現在では世界中に支部を持ち巨大な「ダンスカンパニー」へと成長している。


 

PROFILE
16歳の頃踊りを始め、数年間で日本全国の主要コンテストを制覇。83年伝説のチーム「Be-Bop-Crew」を主宰。全国ダンサー憧れの的となる。87年結成のチーム「JAP」でNYアボロシアターに日本人として初出場。満場の拍手と共に準優勝し、一躍名声を博す。帰国後、グラミー賞プレゼンターを務めたダンス界の神「FabulousLockers」トニーゴーゴーと「OriginalLockers」を結成、ディスコの神様として注目を浴びる。世界的に有名な黒人プロダンサーらにダンステクニックを指導した日本人”というのは伝説的話でもある。90年映画監督・小松壮一郎と出会い、様々なメディアで本格的なダンス映像を製作。「Be-Bop-Crew」の再結成に参加し、数々の公演、映画制作などで活躍。その後、日本のストリートダンスの基盤作りに貢献。
少年チャンプル終了後、さらに自身の新しいスタイルを学ぶ為、『アメリカ/NY』に渡りNYのTOP DANCER達やオリジネーター達と交流しリアルタイムのアンダーグランドや最新のDANCEを学ぶ。HOUSEのオリジネーターである「ブライアングリーン」との出会いをきっかけに「MIX STYLE HOUSE」を自身のスタイルとして確立。逆にニューヨークトップダンサーたちに多大な影響をあたえ、アメリカのシーンにムーブメントを起こす。類いまれな才能とDANCEに対する探求心は国内、海外の若手TOP DANCER達の目標であり、 また育成につながってる。
日本国内での活動は芸能界では「ジャニーズ」の振付師として、舞台『少年隊』のプレイゾーン・滝沢英明『滝沢革命』、アーティストでは『KAT-TUN』・『赤西仁』・『KISS MY FOOTU』等を手がける。アンダーグランドでは全国のコンテスト、バトルなどの審査員やゲストショー、WORKSHOPなどを精力的にこなす。
海外では2010年、ドイツで行われた、世界大会「FUNKI'N STYLE」で日本人初の審査員をする。さらに世界のTOP DANCER達とアメリカを拠点とするユニット「E.O.F」を結成。世界に新しいSTYLEを発信している。